カルネアデスの庵

健全な好青年の

11/7

日記。

 

一日の行動や発生した事象について書に纏め、記録とする行為、或いはその文書の名称。

 

私は、どうも継続するという行為に抵抗、或いは不適正であるらしい。

と言うのも、残業時間の著しい増加、及び最近始めた運動行為についての時間に、私の筆を摂る指はその職務を忘れていたような節があった。

 

そして無意味にも、私は街を散策する趣味がある。

それくらいでしか日常における色を見出す事が出来ないからだ。

今日は畏れ多くも、街を一周するような大規模な『散歩』をした。距離については測ってもいないが、親指の爪が食い込み継続的な痛みを発生させる程度の距離を歩いたつもりだ。

歩く時、私は常に音楽に身を委ねる。

酷く耳のつんざくような音で、言葉で、執拗なまでに私の脳を侵食してくる音楽家達の作品に、心を許す。

例え現実がいかに悲惨で、どうしようも無いものだとしても、あの鼓膜の振動は美しかった。

曲を聴く時、私は全ての作品をミックスした状態で拝聴する。例えばそれは、女性歌手の力強い声、或いはゲームの作中歌。趣味の範囲だけは多岐に渡るが、それに適合する事に至る対話が可能な人間はごく限られている。

 

極端に話題を変えるが、私は時々、考える事がある。

DNAの塩基配列によって、我々はその肉体的な特徴が形作られる。それは生物である限り、逃れようのない事実だ。

幼い頃から生物学には興味があったが、怠惰な性格が起因して研究に携わった事は無い。故にこの考えも、研究の実情する知らない男の、無意味な与太話に過ぎない。

 

DNAの塩基配列は、ATCGの4種類で記述される。

個体、血統によって一部の誤差はあれど、生物はその四文字の配列が無数に並ぶ事によって、そのたった一つの種として認識される。原則として、同種で無ければ交配出来ないというルールがある事からも、種としての塩基配列の部分の末端に血統のDNAが存在するのは間違いない。

種としての塩基を携帯とするならば、血統のDNAはストラップのようなもの。それ故に、DNAの完全一致は交配の絶対条件たり得ない。

虎とライオンは交配しライガータイゴンを産むが、それらは人工的なものであり、仮に個体数を著しく増やしたとしても、生殖能力の無い性質上その種は繁栄することは無い。

別種で交配して生殖能力を持つ事象は、限りなく生物学的に配列の近しい存在(=亜種)であるのではないか、と私は推測している。

 

 

さて。

つまるところ、DNAの塩基配列は個体を形成する指針=設計図。私達の、この星の生物の身体は常に緻密な設計図によって、末路まで決められている。

ならば設計図の製作者は、少なからず存在するはずだ。我々にとってそれは造物主、及び『神』と呼称される存在になる。

その定義における『神』は、少なくとも全能では無い。

『神』と呼ばれる者が仮に我々を設計し、全能であるとしたら、そも設計という行為に必要は無い。複雑な構造を作る必要無く生物は存在出来る、と定義すれば良いだけの話だ。

何らかの理由で我々の世界を生み出し、維持しているその存在が何をしているのかは一切わからない。

例えば、実験。

神は完全な世界を作る為に、手始めに生態系のある我々世界を作り、その行く末のデータを採取している段階、という説。

後もう1つ考えられるのは、そうあれかしと決められているから。世界の存続は絶対の条件であると決められていて、それを決めた者(=神)による運営と静観。

 

彼等は何処で観測しているのだろうか?

最も、観測しているかどうかすら不明だが、ここにおける『神』は常に我々を監視している事とする。観測していないのであれば、恐らくそれは『神』に近い姿を持っただけの、そして我々を創っただけの上位種であるだけ、という結論になる。

 

候補としては2つ。

 

『外宇宙』と『隣接次元』。

 

とはいえ、これは私の考察と言うよりは既定の道理に過ぎない。

外宇宙とは、つまり我々の観測の及ばない宇宙の外の事だ。宇宙は絶えず膨張している、という話を聞いた事がある。

膨張しているという学説を採用するのであれば、当然拡がり続ける『果て』が存在する。

その外側がブラックホールであれ、音も光もない空間すら存在しない世界であれ、その境界は存在する。私は勝手に、境界の外側は途方もない質量と密度を誇る暗闇の壁だと考えていた。

実際の所は不明だが、我々の宇宙の外側に何があるか分からない以上、そこに存在すると断言する事は出来ない。だが、我々の宇宙が境界を隔て存在出来ているという事は、その外側の更に途方も無い距離を経た先、ヴァルハラが存在する可能性も、そこに別の宇宙が拡がっている可能性も否定出来ない。『外宇宙』、それが第一の候補。

 

第二の候補は、『隣接次元』。

そもそも、人間に知覚できないものは無数に在る。紫外線や超音波、蛾のフェロモン、その他にも様々だ。

もし仮に、この宇宙に存在しない生命体に似た何かだけが知覚できるモノがあるとしたらどうだろうか。

我々の存在する空間に裏側の座標(例えばXYZ軸の他にA軸が存在するようなもの)が存在し、それらに『存在する』と定義出来るような能力を彼等が所持している可能性だ。

クトゥルフ神話に、『ヨグ=ソトース』という神性がいる。クトゥルフ神話内におけるNO.2とも呼べるそれは、無数の光の玉の集合体のような見た目をした旧神と呼ばれる種族で、『副王』と呼称される。彼の規模は膨大であり、『全ての空間に隣接している』という特徴を持つ。つまり、彼はデータ上、その神話の世界において全ての物体のすぐ側に存在している事になる。当然、この宇宙を全てヨグ=ソトースの肉体で埋め尽くさない限りそれはなし得ないが、実際に作中の世界ではそうはなっていない。つまり、『何か』を隔てた空間外の場所に、彼は存在し隣接している。

それと似たような感覚で、『神』は我々の存在する宇宙のA軸の座標にその視点を置いているのではないか、という点だ。

 

……ここまで書いておきながら、この説はつまらない物であると我ながら自覚している。

私が言っている事はつまる所、

 

『この宇宙に我々の造物主は観測出来ないので、

もし居るとすれば宇宙内のA座標か、もしくは他のどこかです』

 

と言っているようなもの。

『答えはAかそれ以外です』

なんて、雑把にも程がある表現だ。

 

神は繁栄しすぎた我々を滅ぼすかもしれない。或いは、面白がって観客となるかも。

だが、神がいかに造物主とて、我々を滅ぼす権限を持っているという確固たる根拠は存在しない。

 

根拠の無い机上の空論でしかないが、ここに書き留めておく。

 

 

いつか私が見返した時、無邪気にほくそ笑むくらいの文にはなっただろうか。